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AIによる人格の「再生」は現代の降霊術と言えないか?

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 心に残っている、一本のテレビ番組がある。

 2015年に放送されたNHKのNEXT WORLD。その中でも、僕の興味を引いたのは、第4回のエピソードだった。

 夫を亡くしたある女性は、悲嘆にくれていた─そんな彼女を「前向き」にさせたのは、人工知能だった。夫の残した手紙や写真といった様々な情報から、彼女は夫の人格を「再生」させようと試みていたのだ。最終的に「再現」された人格と彼女が交流できることを目指しているのだろう。NHKの取材班に対し、夫を「再生」しようとする様を説明した彼女の顔は、すごく輝いていた。

 同様の研究はGoogleも行っていて、「ロボットに特定の性格などを植え付けられるシステム」について、Googleが特許を取得したことが話題になった。*1この技術により、故人を「再生」できるようになるのだという。

 このようなデジタルクローンの技術的な内容に興味があれば、以下の書籍又はリンクを見てほしい。

NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック

NEXT WORLD 未来を生きるためのハンドブック


永遠に生きる「デジタルクローン」は実現するか|WIRED.jp

 ただ、本稿で僕が語りたいのは、そもそも、絶えず変化を続ける人格を再現するのは不可能ではないか、ということだ。

 そもそも、常に人格が変化するというのは理屈として非常に簡単である。ハードウェアである脳の構造は、神経細胞の増減、神経回路の変化によって日々変わっている。ならば、人格自体もまた変化する。あるいは、人間は日々経験によって人格を変えていく、と言っても良い。

 そもそも、個人を「再生」するのに、十分な情報が集められるかという問題はある。そして、仮に特定個人の全情報が集められたとしても、それは特定時点での個人を「再生 」するにすぎない。では、どの時点での人格を持って、「その人」を定義すれば良いのか。

 10歳の「夫」こそ「夫」なのか。それとも30歳の「夫」こそ「夫」なのか。それとも死ぬ直前の「夫」が「夫」なのか。あるいは死ぬ30分前の「夫」が「夫」なのか。また、病によって人格が崩壊していった夫が居たとして、いつから「夫」は「夫」でなくなるのか。

 結局のところ、それを決めるのは再生する側の人間である。そして、人格を再生するあたって、再生側が情報を恣意に選択するという要素はなくならない。

 情報を取捨選択して人格を再現することを人格の再生と言って良いのか。恣意的に、ある種の「人格」を作り上げているにすぎないのではないか。

 そこまで考えた時に、AIによる人格の「再生」は、現代の降霊術と言っても良いのではないかと思った。恣意的に人格を再現することで死者の霊を「召喚」し、語らせることで生者を慰める。再現度が異なるという違いはあるとは言え、降霊術と人格の「再生」にどこまで違いがあるというのか。

 僕の情報を読み込んで「再生」された僕‘は、その問いにどう答えるのだろうか。