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小川一水「天冥の標II 救世群」─「始まり」の物語

作品情報 

天冥の標? 救世群

天冥の標? 救世群

 

※第一巻、メニーメニーシープの感想はこちら。

小川一水「天冥の標I メニーメニーシープ」 - 本やら映画やらなんやらの感想置き場

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

 

※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

  僕が一番好きなSFシリーズで、すでに日本のSFを代表する作品群であるとの評価もある天冥の標。今回は、その第2巻である救世群の感想を書いていきます。

本書の物語の要約

 本書の物語のうまい要約となっているなと思ったのが、第1巻の小川一水さんのあとがきの一節です。

第二巻は、世界を救う悪鬼たちと冷酷な聖者、そして疫病「冥王斑」が封じられるまでの話です。(メニーメニーシープ下巻360頁。)

 第一巻を読んだ段階では、なんで悪鬼が世界を救うんだ?聖者が冷酷ってどういうことだ?って疑問でしたが、一読してからこの文を読むと、まさにその通りの内容でしたね。ワクチンで世界を救う悪鬼たる千茅たちと、冷酷な聖者たる圭伍。*1両者を中心に物語が進んでいき、「冥王斑」が封じられることになります。

 では、本作の物語をより詳細に振り返っていきましょうか。本作は、天冥の標シリーズの中でも、最も新しい時代を扱った作品(断章は除く)なので、色々なものの始まりが語られていましたね。

セアキ家の始まりについて

 その1つが、セアキ家の相棒、フェオドールです。はじめて(プログラムの)フェオドールが登場したシーンを引用してみますと、以下のようになります。

 隣のテーブルに置かれたノートパソコンの画面で、タイヤを何段も積み重ねたような奇妙な形の、岩石のゴーレムが動いている。(94頁)

 不思議ですよね。ただのゴーレムについての説明なのに、再読してみると、なんだか愛嬌があるフェオドールの姿が眼前に浮かぶようです。まあ、フェオドールだけじゃなくノルルスカインも中に入っている点は考慮しないといけませんけど。

 また、本作でフェオドールを受け継ぎ、後のセアキ家の先祖となる、矢来華奈子が登場しました。*2 矢来華奈子は、後のセアキ家の人々と同様、「危ないところにしょっちゅう突っ込んで」いく(546頁)、実にパワフルな女性でしたね。

 そして、彼女がセアキ家の先祖ということは、彼女は後に子供を残すことになります。そのお相手は誰かと言うと…終章を読んだ限りでは、圭伍で間違いなさそうですね。ということで、本作はセアキ家の先祖の二人である、矢来華奈子と児玉圭吾を中心としたお話であったということもできますね。

救世群の始まりと救世軍が抱える恨みについて

 しかし、シリーズ全体にとって、より重要なのは、救世群の始まりが描かれたことでしょう。本巻の末尾で、千茅達が自らを救世群─IgPワクチンで世界を救う、ありがたい人々─と名付けたことが明かされます。(438頁)第一巻を読んだ際には、救世群という正義の味方みたいな名前を付けた勢力が、なぜ主人公たちと敵対していたのか不明でしたが、自らで名付けていたんですね。

 そして、本作では、救世群が抱く人間への恨みの歴史が語られることになります。誰よりもけなげで明るい子であった、千茅が恨みに溺れるいきさつを描くことで。

 ただの普通の女子高生だった千茅は、冥王斑によって死の淵をさまよいます。そして、彼女にとっての本当の闘いは、冥王斑から回復した後に始まりました。

 厳重に閉じ込められた部屋の中で、一人孤独に過ごすことになる千茅は、クラスメートが徐々に自らと距離を置くようになって、こう思います。

きっとみんな忘れてしまったんだ。(中略)忘れるのが最良で、唯一の方法なんだ。それを恨むなんてことは──。

だめ。

だめだった。

恨まずにはいられなかった。覚えていてほしかった。うらやましく、ねたましかった。(218-219頁)

 でも、正直恨んでもおかしくないと思うんです。こんな状況に置かれてしまえば。自分が何か悪いことをやったわけでもないのに隔離されて、ろくに外に出ることもできない。何か悪いことをしたわけではないのに、ネット上ではひどく叩かれる。ですが、そのような思いを抱いていた千茅は、青葉との会話もあって立ち直ります。

──マイナスからプラスに。プラスになってやるんだ。(231頁)  

と言って。

 先行きが分からないのにもかかわらず、あきらめず前を向く強さ。一度他の人を恨んでも、それをやめることのできる精神力。そんな彼女をもってしても、人間を恨み続けざるをえない状況になっていきます。

 その原因となったのが、世間からの冥王斑回復者への深刻な差別です。そして、差別によって徐々に精神的に追い詰められていく彼女をどん底に叩き落したのが、掛井でした。

 千茅の心の中にあった温かなものや明るいものが、すべて砕かれ、真っ黒に腐食して、どろどろと底の方に沈殿していった。(381頁)

 この決定的な出来事の後、千茅は人間を恨むようになり、闇の精霊となるのです(381頁)。逃げた千茅を捕まえる前に、柊と千茅はこのように言葉を交わします。

「私をお恨みなさい。どうか、人間を恨むことのないように」

千茅はそれらの言葉を、顔をそむけて聞いていた。やがてぽつりと「無理です」と言った。(413頁。)

 こうして、本書は、恨むという感情からかけ離れた存在であるはずの千茅が、人間に対し恨みを抱く過程を描くことで、本作は救世群の人々が抱き、抱くことになる恨みを鮮やかに描き出したのです。 

 このように、本作は救世群が有する恨みを描く一方で、救世群に対する救済の可能性をも示唆しているように思えました。それが、救世群に対する差別を描いた以下の部分です。

 いわれのない差別だ、と言えればどんなによかっただろう。(中略)差別感情という矢(中略)が放たれるべき的の、まさに中心に冥王斑はあった。それが救われるためには、慈悲と理性の完全な発動が必要だったが、そのように振る舞うには、人間はまだあまりにも未熟だった……。(288-289頁)

 ということは、将来、人間が成熟して、慈悲と理性の完全な発動が可能になれば、救世群を救うことができる。そういった可能性を、本作は表しているように思いました。

本作のような規模のパンデミックが起こり得る可能性について

 さて、以下では視点を少し変えて、本作のような規模のパンデミックが現実に起こり得るのか、という点について少し検討してみたいと思います。

 実際、本書のような規模のパンデミック現代日本でもあり得えないかというと、そんなことはありません。厚生労働省の「新型インフルエンザ対策行動計画」を参照すると、以下のような記載があります。

 今回の新型インフルエンザ対策行動計画を策定するに際しては、「新型インフルエンザ対策に関する検討小委員会」において一つの例として推計された健康被害を踏まえて想定した。 
 (中略)推計の結果、全人口の25%が新型インフルエンザに罹患すると想定した場合に医療機関を受診する患者数は、約1,300万人~約2,500万人(中間値約1,700万人)と推計されている。 
(厚生労働省:健康:結核・感染症に関する情報)

 この推計の上限値である2500万人をもとに、新型インフルエンザが、スペインインフルエンザと同様に致死率2%である場合、入院患者数は約200万人、死亡者数は約64万人となるそうです。*3 本作において、東京で起きた冥王斑のアウトブレイクが、感染者8000人弱、犠牲者4761名(357頁)であったことを考えると、それを上回る患者数と死亡者数のパンデミックが起こり得る、ということになります。冥王斑の致死率が六割であること(320頁)、両者の感染力に5~8倍の違いがあること(161頁)等々の違いはありますが。

 それを踏まえると、本作のようなパンデミックとその対応が、単なる夢物語かというと、そうとも言い切れないのではないでしょうか。

本書のような患者への差別が起こり得るかについて

 また、本作のような、患者や元患者への差別が現実にありえないかというと、そういう訳ではありません。昔から、本書で以下のように語られているように、そのような差別が起きることもありました。

 発病し、姿の変わってしまった患者には、常に世間の冷たい目が向けられ、当局による隔離政策は差別と虐待を生んだ。(254頁)

 この一例となると考えられるのが、ハンセン病です。日本財団が述べているように、「ハンセン病はもはや完治する病気であり、ハンセン病回復者や治療中の患者さえからも感染する可能性は皆無です。」*4しかしながら、ハンセン病患者には差別が行われてきました。熊本県日本財団は、ハンセン病患者に対して行われた、何の根拠もない差別につき、以下のように述べています。

Q 隔離政策によって、どんなことが行われたのですか?
A 人権を侵害する次のようなことが行われました。
ハンセン病患者を県からなくす「無らい県運動」が官民一体となって行われました。
ハンセン病療養所内において、退所も外出も許可されず、職員不足などを補うため、看護、耕作などの作業(患者作業)を強いられました。
○療養所長に懲戒検束(ちょうかいけんそく)権(療養所内の司法権・警察権)が与えられ、療養所内に監禁室が設置されました。
○療養所内において、結婚の条件としてとの断種や、人工妊娠中絶が行われたりしました。
○家族への偏見や差別を恐れ、療養所内では偽名を名乗ることを余儀なくされました。

ハンセン病を正しく理解しましょう~偏見や差別をなくすために~ / 熊本県

ハンセン病に罹患した人びとは遠く離れた島や、隔離された施設へ追いやられ、自由を奪われ「leper」という差別的な呼ばれ方で、社会から疎外された状態で生涯を過ごすことを余儀なくされました。

 (中略)社会の無知、誤解、無関心、または根拠のない恐れから、何千万人もの回復者およびその家族までもが、ハンセン病に対する偏見に今なお苦しんでおり、こうした状況を是正する社会の取り組みは遅れをとっています。

ハンセン病とは | 日本財団

  上記の差別は、本書で描かれた差別と似通っている部分があるとも思えませんか?このように見てみると、本書の冥王斑患者に対する差別もまた、絵空事ではないということが分かります。

まとめ

  以上をまとめますと、本作は天冥の標シリーズのいくつかの始まりを描いた重要な巻であると共に、もしかしたら日本で起こり得るかもしれないパンデミックや患者への差別を描いた、現実的な小説である、と評価することもできると、僕は思いました。

 

次巻の感想:

小川一水「天冥の標III アウレーリア一統」─男になった少年と全てを犠牲にした男の物語 - 本やら映画やらなんやらの感想置き場

※当ブログの天冥の標の感想一覧はこちら
小川一水「天冥の標」感想記事まとめ - 本やらなんやらの感想置き場

*1:作中で、圭伍がsaintと呼ばれるシーンがあります。(292-293頁)また、彼が冷酷なことをしたと自らを振り返るシーンがあります。407頁

*2:3巻の登場人物であるセアキ・ジュノは矢来華奈子の子孫であるとのシーンがある。3巻のアウレーリア一統、546頁。

*3:厚生労働省:健康:結核・感染症に関する情報

*4:ハンセン病とは | 日本財団