本やらなんやらの感想置き場

ネタバレ感想やらなんやらを気ままに書いています。

数字による人の抽象化とブログのアクセス数

f:id:spaceplace:20180128085907j:plain:h300

数字による人の抽象化

 数字は人を抽象化してしまい、関心を失わせるという恐ろしい能力を持っています。この点に関連して、行動経済学者のダン・アリエリーは、著書の中で以下の言葉を引用しています。*1 

スターリン:「一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない」
マザーテレサ:「顔のない集団を前にしても、私は行動を起こさないでしょう。一人一人が相手だからこそ、行動できるのです」

 そして、危難に陥っている人についても、同様の効果が生じます。とある実験では、食料危機にある人間の具体的なエピソードを読むと、その食糧危機について統計的な情報しか与えらえていない人と比べて、より被害者に共感し、より多くの寄付をしようと思ったそうです。(顔のある犠牲者効果)*2

 ということで、繰り返しにはなりますが、数字によって人が抽象化されると、人々はなかなか関心を持てなくなってしまうのです。 

ブログのアクセス数

 昔、ダン・アリエリーのこの本を読んだときに、数字による抽象化によってこのような効果が生じているか。ならば、これについて気を付けていれば同じような過ちには引っかからないな、と思った覚えがあります。

 そして長い月日が経ち、僕はこのブログをはじめました。ブログを始めてからは、毎日アクセス数に一喜一憂していました。このくらいアクセス数が増えたからよかった、減ったから残念というように。そして、アクセス数を増やすことが、ブログの最優先の目標になっていました。

 それで、ふと気づいたのですが、これって数字による抽象化の魔の手に陥っていたんですね。僕は。

 そもそも、アクセス数という数字として見てしまうと、1人1人の読み手(つまりこの記事を読んでいるあなたです)をなかなか意識しづらくなってしまい、読み手を満足させる記事を書くと言うよりも、むしろアクセス数が伸びるような記事を書こう、というように思ってしまっていました。(まあ、これらはある程度重なりますが。)

 ブログを運営してみると、個々の読み手とコミュニケーションをとることは難しく、アクセス数こそが自分の承認欲求を満たすもの=報酬となることから、アクセス数が唯一の尺度となってしまいがちなんですよね。

 ですが、この「顔のある犠牲者効果」をふと思い出してから考えてみると、(おそらく)僕の記事を読んで楽しんでもらえている人のことについて思いが至りました。そして、アクセス数が増えるどうこうよりも、1人1人の読み手が僕の記事を見て楽しんでもらえる、そのことが何よりも嬉しいことなのだなと感じました。

 ということで、これからも1つ1つの記事のクオリティを上げることを目標に、このブログを運営して行こうと思います。

*1:ダン・アリエリー「不合理だからうまくいく」331頁

*2:前掲書333-334頁。