http://spaceplace.hatenablog.jp/

本やら映画やらなんやらの感想置き場

ネタバレありの感想ブログです。

MENU

円城塔「オブ・ザ・ベースボール」─斬新な不条理にユーモラスさを添えて

作品情報


 本作は、104回文學界新人賞を受賞した作品です。「オブ・ザ・ベースボール」と「つぎの著者につづく」という二作品が掲載されています。
 本稿では、「オブ・ザ・ベースボール」について感想を書いていきます。

評価

☆☆☆(最高評価は☆5つ) ※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

斬新な不条理にユーモラスさを添えて

 本作は、文庫本の裏表紙のあらすじを見た段階でやられました。

ほぼ一年に一度、空から人が降ってくる町、ファウルズ。単調で退屈な、この小さな町に流れ着き、ユニフォームとバットを身につけたレスキュー・チームの一員となった男の物語。

 何だこりゃと。人が降ってくるというだけでも不思議なのに、救う方法がバットとは。そして、ラストシーンで落下者を実際に打ったことにもびっくりしました。そして「俺」が「俺」を打ったことにもびっくりしました。
 次々と出てくる斬新な不条理。そして、その不条理に添えられるのがユーモラスさです。

バットはバットではないとその男は言い張って、草を植えてしまえばコップは植木鉢であると胸をはった。男の言わんとする意味が俺にはよくわからなかったので、とりあえずそいつの前に据えられたグラスをバットで粉砕した。(本書26頁)

 この部分とか特に好きです。余談ですが、円城塔さんの本を読んでいると、時折その本をバットで粉砕したくなる時があります。「道化師の蝶」とか特に。

円城塔「道化師の蝶」─『分からないまま読むに限る』 - 本やら映画やらなんやらの感想置き場

本作品の書評の比較

 さて、本作品はどんなことを表しているのでしょうか。まず、2つの書評を比較してみたいと思います。

冒頭で述べたように、円城塔の作品はわけがわからん。しかしそのわけがわからなさは、作品に秘められた高次の構造が、小説という形態に投影されているだけで、隠された何かがあるのではないかと勘ぐらせる神秘さをともなっている。(中略)円城塔もそうした演出に長けたはったり屋なのではないか。 オブ・ザ・ベースボール / 円城塔 - 誰が得するんだよこの書評

 要するに、作品自体に特に意味はないだろう、といった感想ですね。円城塔さんの著作を読んでいると、訳がわからなすぎて、そういう風に思ってしまうときも、正直あります。ただ、何度も何度も読んでみると、段々と意味が分かってくる(あるいは分かった気になる)時もあります。
 別の方は、物語のあらすじを述べた上で、以下のように述べています。

さすれば「オブ・ザ・ベースボール」の方は、やはり幾ら何でもカンタンすぎやしないかという気分にもなるのだが,だからこそ新人賞を貰えたという見方もありえるかもしれない。(中略)誰であれ「話者」が居ることになった途端に、物語ることと物語られること、書くことと書かれることが同じことになってしまう、より精確にいえば、もともと同じなのだということが表面にせり出してくる、という厳粛なる原理が、ここでは殆どジュブナイル的と呼んでもいいような易しさと優しさとで再確認されている。 円城塔『オブ・ザ・ベースボール』書評(「新潮」初出) : エクス・ポ日記

 いや、とりあえず内容はおいておいたとしても、ここまで人によって感想が分かれるのかと。一方は、「はったり屋」だと言い、他方は「幾ら何でもカンタンすぎやしないか」と言い放つ。同じ小説を読んでいるとは思えないくらいに意見が割れていますね。ここまでレビューの言っていることが分かれる作家さんを、僕は他に知りません。
 で、「誰であれ『話者』が居ることになった途端に、物語ることと物語られること」が「もともと同じと言うことが表面にせり出してくる」 ということは、いったいどういう意味なのでしょうか。カンタンと言われている割に、あまり良く分かってはいないのですが、おそらく話者を設定した瞬間に、話者が物語ることは話者が経験したことであるから、話者の行動によって書かれ方が変わり、そのため書き方も変わる。また、書き方によって、書かれ方は変わり話者の行動も変わると。だから、物語ることと物語られることが同一になる、そういった意味なんでしょうかね。

人が落ちてくることについて

 本書では、以下のような記載があります。

比喩であるならば構わない。口に出される様々な事柄が、いずれもある程度比喩であるように、この町で続いている落下現象もまた何かの比喩であるかはわからない。しかし比喩にも程度と言うものがあるはずで、実際に人が落ちてくるとなると、これは何の比喩だのかんだと考えるのは馬鹿馬鹿しい。(58頁)

 ということは、裏を返せば、「実際に人が落ちてこない」虚構の作品に過ぎない本作には、比喩があるということになります。
 では、それは何なのでしょうか。それは、本書の79頁で語られている、「墜落するものこそが、生命である」(79頁)ということではないのでしょうか。そして、「俺はここから、それともそもそもの最初から、どうしようもなく落下を始めている」(99頁)のですから、人間はそもそも墜落=死ぬ運命にあると。で、いくら「俺」がバットを振ったところで、自分自身を空へと打ち返すことなんてできないということは、本書を読まなくとも明らかなことでしょう。
 そして、主人公はファウルを打った後、墜落の原因=死の原因=自分の死の意味を探る旅に出ます。そこには、自分の人生の意味を探ることも、含まれているのかもしれません。そして、その原因が分かるかどうかもわかりません。 原因が分かったところで、墜落を避けられるわけでもありません。
 でも、主人公はこう呟くのです。(99頁)

「オールライト。カモン」

関連記事: 円城塔「これはペンです」─叔父は叔父でない。文字通り。 - 本やら映画やらなんやらの感想置き場