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金原ひとみ「蛇にピアス」

作品情報

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

 本作は、第130回芥川賞受賞作です。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

「私」の抱いた虚無

 ごくまれに、暗い衝動を感じる時があります。もう、どうなってもいいやと思ったり。全てがどうでもいいと思ったり。あるいは、自分が生きている意味はあるのかと思ったり。こんな言葉では表せない虚無感。

 本作の主人公である「私」も、そういうような思いを抱いています。「私」こう考えています。

私はただの一般人で構わない。ただ、とにかく陽の光が届かない、アンダーグラウンドの住人でいたい。子供の笑い声や愛のセレナーデが届かない場所はないだろうか。(46頁)

 そんな「私」は、アマのスプリットタンにどうしようもなく憧れます。自らを改造することに憧れるのです。これは、ある種の破壊願望ではないかと感じました。どうしようもない、好きでもない自分自身。それに対する、ある種の罰?

「私」は、身体改造についてこう考えています。

普通に生活していれば、おそらく一生変わらないはずの物を、自ら進んで変えるという事。それは神に背いているとも、自我を信じているともとれる。私はずっと何も持たず何も気にせず何も咎めずに生きてきた。(74頁)

 これが普通の小説であれば、身体改造こそが何もない自分を変革させるためのきっかけであって、それにより新たな自己を獲得するというようなお話になるのでしょう。身体改造は、あくまで自分自身になるための手段であって、罰でもなんでもなく、希望に満ちたものなのだと。

 しかし、「私」が抱いている虚無感は、そんな生易しいものではありません。

 私は、先ほどの引用部について考えた後に、こう結論づけます。「きっと、私の未来にも、刺青にも、スプリットタンにも、意味なんてない」(75頁)と。

 こんな思いを抱きながら、「私」はどんどんと生きる気力をなくしていきます。ご飯を食べず、アルコールを飲み続け、体はやせ細り、心の中の虚無はどんどんと膨らんでいく。舌に付けたピアスがどんどんと大きくなるにつれて、「私」はどんどんと絶望の淵へと近づいて行きます。

 それが極限へと達するのが、アマが死亡したシーン。そして、おそらくアマがシバによって殺されたと分かるシーン。「私」を支えていた「龍」と「麒麟」のうち、「龍」が「麒麟」によって殺されたシーンとでも言い換えられるでしょうか。

 普通なら、ここまでの絶望を味わえば、虚無感に全てを飲み込まれ、スプリットタンになった私は死ぬという終わりになるでしょう。

 生きる理由なんて何にもない。自分の存在を支えるものなんて、何一つないと。

アマとシバが残したもの

 ですが、本作の主人公はそうはなりません。最後のシーンで、主人公は前向きに生きることを考えています。ではなぜ、そのようなことが可能になったのでしょうか。自分なりに考えてみたことを書いてみます。

 まず、アマとシバが「私」にとってどういう存在だったのか考えてみます。アマは、「私」を無条件で愛してくれる存在です。そのためには、誰かを殺すことさえも厭いませんでした。また、アマデウス=作曲家=創造者という点でも、シバと対になる存在です。

 これに対し、シバは「私」を無碍に扱い挙句の果てには殺そうとする、「私」を破壊する存在です。これは、シバとはシヴァ(破壊神)を表していることからも読み取れます。

 そして、アマが死んだことによって、シバの魔の手が「私」を襲います。主人公はこう考えます。

早く殺して、と思ってしまう。たぶん、それを口に出していたら、シバさんは私を殺してくれただろう。(102頁)

 しかし、「私」はシバがアマ殺しの犯人かもしれないと気づいた時に、シバを守るために行動を始めます。アマを守る行動を経て主人公はアマの愛を受け入れるようになったことを考えれば、この時点で「私」はシバによる自己の破壊衝動を受け入れるようになったのでしょう。

 そして、「私」はアマが残してくれた愛の証を飲み込み、アマの愛を取り入れます(111頁)。

 そして、自分の龍と麒麟の刺青に目を入れることを決めるのです。このシーンで私はこう考えます。

私自身が、命を持つために、私の龍と麒麟に目を入れるんだ。そう、龍と麒麟と一緒に、私は命を持つ。(中略)アマを殺したのがシバさんであっても、アマを犯したのがシバさんであっても、大丈夫。龍と麒麟は目を見開いて、鏡越しに私を見つめていた。(112頁)

 このシーンで、私は「龍」と「麒麟」を内在化し、一人でも生きていけるという決意を持つのです。おそらく、アマによる愛を自分の中に取り込んで。あるいは、シバが体現する、「私」自身の破壊衝動をもコントロールして。

 こうして考えてみると、本作は虚無の中心へと吸い寄せられていく物語であったはずのものが、アマとシバが残してくれたものによって途中で軌道変更し、最後には生の希望へとたどり着く物語となったように思えます。まるで、ブラックホールを利用してスイングバイを行うかのように。

 この物語を読んで、表しようにない僕の虚無感が、少し薄まったような気がしました。