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円城塔「バナナ剝きには最適の日々」─目の付け所が違う作品集

作品情報

本作は、全十篇の作品集です。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 本作は、非常にバリエーションに富んだ作品集で、読みやすい短編もあって非常に面白い作品集でした。

 以下では、作品集の中でも特に気に入った、表題作の「バナナ剝きには最適の日々」と「コルタサル・パス」について書いていきます。

バナナ剝きには最適の日々

 円城塔さんの作品の中では珍しく、宇宙空間の無人探査機を扱うThe SFという感じの作品でした。ただ、目の付け所が違うな、と思った箇所があります。それは、本作では広大な宇宙の話で、本作の探査機も宇宙人を探しているというのに、まったく宇宙人が出てこないことです。結局、それっぽいのが出てきたのは、主人公の考えたバナナ星人だけだったというのに、意表を突かれました。

 さて、本作を読んで感じたのは、知能を持ってしまった無人探査機の切なさと悲しさです。主人公は、(探査機の他の部分と交信できるとはいえ)基本的には孤独に旅していきます。「ほとんどのところ、なにもない」宇宙空間を。(34頁)

 しかしながら、主人公はその旅に耐えられるように作られています。

孤独や寂しさを感じることもありえない。それを感じる器官はあるが、そう働かないように多重に安全装置がとりまいている。(37頁)

 しかしながら、こう書いてあっても主人公は孤独や寂しさを感じているのではないかと僕は思いました。そもそも、それらを感じていなかったら、わざわざチャッキーを作り出すこともなかったように思うからです。そして、チャッキーがいなくなった後も、主人公は別の人格を作り出そうと考えていることも、これを表しているように思えます。その時点でかなり切ないです。

 さらに、主人公はそう思いながらも、リソースの問題からいずれ消去されてしまう別の人格をつくることをあきらめてしまいます。そして、結果として失われてしまうのであれば、人格を作り出す前に失ってしまうのが合理的だと、主人公は考えます。この時点で、主人公がどこか狂っているように感じました。あるいは、このように合理的に行動できるのが、人間と違うところなのだと言うべきなのか。

 ただ、いずれにせよ主人公が孤独や寂しさを感じているのは間違いないと思うんですよね。というのも、存在しか覚えていないチャッキーのことを、全編にわたって考え続けています。また、チャッピーがいたことを、旗を立てて発信し続けていますから。

 それでも、本短編に救いがあるのが、主人公が未だユーモラスな部分を保ち続けていられているという部分だと思います。少なくとも、バナナ星人について楽しく考えられている位には。そして、本作品のタイトルが悲壮なものではなく、「バナナ剝きには最適の日々」というコミカルなものであるということも、救いがありますよね。

コルタサル・パス

 本作品集の中での一番のお気に入りは、コルタサル・パスです。元は未完長編のプロローグですが(240頁)、これ単体でも非常に面白い作品でした。

主人公のいる世界と、我々とクィがいる世界と

 まず、この世界では主人公達がいる世界(以下、「A世界」とする。)とクィのいる世界(以下、「B世界」とする。)が分かれています。そして、2つの世界はCOMによってつながっています。そして、両世界の住人とも、別の世界の住人は虚構の存在だと信じています。

 本書を読んで思ったのが、本書を読んでいる私たちもB世界にいるのではないか、ということです。そう考えた理由は、以下の通りです。

 まず、本書における世界とは、A世界とB世界しか描かれていません。仮に我々もどちらかの世界に所属しているとすると、少なくとも主人公と同じ世界には属していないと考えられます。というのも、本書の冒頭で以下のような記載があります。

あなたがもう少し早くこのページを開いていたなら、僕はここにいなかったろうし、遅かったなら通り過ぎていたはずだ。だから、あなたが僕を選んだのだということになり逆ではない(199頁)

 そもそも、同じA世界に属しているのであれば、普通に会うことができるのであってこんな奇妙な会い方にはなりません。そのため、我々がいるのはB世界、ということになります。

 また、もう1つの傍証が「熱力学のマイナス法則」です。その内容は、現在の科学常識からはあり得ないように思えます。虚構は自立しません。想像することによって虚構を生み出す場合、それ以外に何の変化も引き起こしません。また、虚構の階層を定める基準値は、我々が居るこの世界です。そして、クィも同様の見解をとっています。(214頁)

 そのように考えると、主人公が居るのがA世界、我々とクィが居るのがB世界ということになります。そして、我々は主人公を「虚構の存在」と考えているわけですね。

コルタサル・パスについて

 では、このような2つの世界を直接つなぐ、コルタサル・パスは存在するのでしょうか。あるいは、コンスタンス・ピーターソンとジョン・バランタインは直接出会うことができるのでしょうか。

 僕は、両方の問に対して肯定できるように思いました。

 前者については、以下のような解釈が可能です。本書の冒頭で、A世界の住人のイシュメイルと、B世界の住人の我々は出会っています。これは、コルタサル・パスが形成されたため、会うことができたとも解釈できます。

 そして、A世界の存在であって、虚構の船であるU.S.S.トゥブラザーズに、「今すぐ港に向けて駆け出すならば、乗船はまだ間に合うはずだ」(228頁)とイシュメイルが語っていることからも、このことは示唆されます。

 また、後者については、上記のようにコルタサル・パスの存在が示唆されていることが傍証の一つになります。また、コンスタンス・ピーターソンとジョン・バランタインという名前には由来があり*1、その由来からも、このことは示唆されているように感じました。

 それにしても、もっと続きが読みたくなる非常に懐の広いお話でしたね。

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*1:ある映画に同じ名前が出てきます。