本やらなんやらの感想置き場

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レイ・ブラッドベリ「華氏451度」感想

作品情報

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

本書の通り一遍の感想

 本作について、通り一遍の感想を書くこと自体は簡単なように思います。

 例えば、本作における昇火士による焚書を現代の日本における表現規制の問題に引きつけて考えて、今ここで私たちが声を上げなければベイティーのように後悔することになるぞと書いてみたり。

 あるいは、本書の登場人物のように、現代人はテレビやスマートフォンの画面を覗き込みながら空虚な時間を過ごし、夜空の月を見上げすらしないのだと書いてみたり。そのような空虚な時間を過ごす都市の人々は一度(比喩としての)滅びを経験することになるものの、書物を読む人々の助けによってその滅びから救われるのだと書いてみたり。

 ただ、本書を読んでみて、これらの感想はあまりしっくりこないんですね。それはなぜだろうと少し考えてみると、前者の表現規制に絡めた感想は、本書の内容から外れすぎてしまうように思えるし、後者のような感想は、自分の考えとは少し異なっているように思えるからだと気づきました。

本書の考え方に対する違和感

 本書は、「空虚な」娯楽を提供する映像や音声等とは異なり、書物は価値のあるものだと主張しているように思います。ただ、この考え方には少し違和感があります。

 まず、表現内容の価値は表現のメディアによって必ずしも毀損される訳ではありません。当たり前ですが、本をそのまま読み上げた音声は、元となった本と同等の価値を有するでしょう。また、映像も音声情報を含んでいる以上、本と同様の価値を持ち得ます。そのため、本というメディアが他のメディアに比べて必ずしも優れている訳ではありません。

 であるならば、なぜ本というメディアは「空虚な」娯楽を提供する映像や音声等とは異なり、価値のあるものだと言えるのでしょうか。本書は、数多くの本の中にはプラトンなどの価値がある本が存在するから、本には価値があると主張しているように思えます。

 確かに、本の中には価値があるものがあること自体は否定し得ません。しかしながら、映像や音声などの表現が「空虚な」ものであり書物よりも劣った価値しかないと一概に断罪できないように思います。

 確かに、映像作品や音声作品の中には、僕自身も中身がないなと思うものもあります。しかしながら、表現に何を求めるかという点については、人によって異なっていても良いはずです。表現に対して、知的な価値を全く求めず、「空虚な」単なる娯楽だけを望んでいる人が居たとして、その人にとっては映像や音声等は本よりも価値があります。

 ある種の書物を読むという知的な営みは、確かに価値を持ち得ます。しかし、「知的な」営みが「知的でない」「空虚な」営みに勝るという考えに、大した根拠はないように思えるのです。例えば、何を持ってシェークスピアを読むことが低俗なテレビ番組を見ることより価値があると言えるのでしょうか。あるものに価値がある/ないと言うのは、相対的なものである以上、映像や音声など、ある人が「知的でない」と思うものであったとしても、別の人にとっては重大な価値を持ち得ることは、十分にあり得ることです。

 そのため、本書のように書物をだけを特別視して考えるのは、自分の考え方とは少し違うなと思わざるを得ませんでした。