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コンテンツ選別基準としての同時代性について

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近年、私たちが入手できるコンテンツの数は爆発的に増大している。昔はテレビ、ラジオといった限られた媒体でしか情報を入手できなかったものが、インターネットの発展によって、今や数多のコンテンツを簡単に手に取ることができるようになっている。動画を見たければYoutube。音楽を聴きたければSpotify。文章が読みたければKindle Unlimited。往年の名作が安価に手に入り、いくらでも時間を使うことができる。テレビ、ラジオを通じて今この時代のコンテンツを楽しむ頻度は、どんどんと減っているように思う。

また、今後は、AIの発展によって、個人向けにチューニングされた作品がどんどんと出てくるようになるのではないかと思う。少し前の話題となってしまうが、今から4年前、AIが創作した小説が星新一賞の一次審査を突破したことが話題となった*1。一度コンテンツを作るAIが誕生してしまえば、そのAIは短時間で莫大な量の作品を生み出すことができるようになるだろう。とっくの昔に、将棋AIによって作り出された棋譜を人間が追えなくなってしまっているように、一人の人間のためにチューニングされたAIが、その人が楽しみ切れない量のコンテンツを作成する時代が、いずれ訪れるのではないかと思う。

このような傾向が続けば続くほど、「新作」の重要性はどんどんと薄まっていくように感じる。過去の名作が簡単に手に入るというのなら、なぜわざわざ面白くないかもしれない新たな作品に手を出す必要があるのか。自分にぴったりの作品があるのなら、なぜ万人のための新作を購入しなければならないのか。かつて非現実的だったそのような問いかけは、どんどんとシリアスなものになっているように思われる。

しかしながら、そのような事態に陥っても、新作は新作としての欠かせない価値を有するのではないかと思う。1つの理由は、新作が過去の作品を踏まえより面白い作品へと昇華されるからだ。過去の名作を吸収しつつ生み出された作品は、新たな価値を生み出すだろう。しかしながら、これは全ての作品に当てはまるものではない。現在あるコンテンツを見渡してみれば容易にわかることだが、往年の名作を越える作品を作ることは、極めて難しい。例えば、バックトゥザフューチャーよりも面白い映画を生み出すことは、現代でも困難であるのと同じように。

新作を新作として価値のあるものとする大きな理由の一つは、「今の作品」という同時代性が新作に備わっているからだと思う。過去の作品、自分のためのAIによる作品は、数が膨大過ぎ、そこから特定の作品を選び出すことは時に困難となり得る。偶然自分にとって面白い作品を掘りあてたとしても、それを第三者と共有することは難しい。任意の二人が、膨大な作品の中から同じ作品を選び出す確率は低いがゆえに。

しかしながら、「今の作品」には、そのような困難はない。今の作品というだけで、そのコンテンツを楽しみとする人間の数は大きく増える。「同時代性」という物差しのおかげで、皆が共通のコンテンツを手に取りやすいのだ。コンテンツ選別基準としての同時代性が、これからもずっと、新作を新作として、ある程度光り続けるものとしてくれるだろう。