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葛飾北斎「富嶽百景」─富士山の女神から胯下の富士山まで。

作品紹介

 富嶽百景は、天保5年(1834年)から刊行された、富士山尽くしの三冊の本です。富嶽三十六景から数年後に刊行された作品ですね。

 さて、そんな富嶽百景ですが、実は無料で読むことができます。国立国会図書館デジタルコレクション で、全編が公開されているんですね。

国立国会図書館デジタルコレクション - 富岳百景 3編. 一

 お時間のある方は一度ご覧になってみてはどうでしょうか。

感想

 以下では、富嶽百景の中でも自分が印象に残った絵について感想を書いていきたいと思います。

第1編

木花開耶姫命

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 富嶽百景という名前にも関わらず、その1ページ目に写っているのは、富士山ではありません。描かれているのは木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)といって、富士山を神体とする富士山本宮浅間大社が祀っている女神さまです。木花開耶姫命は、富士山の女神という訳です。

 富嶽百景というタイトルながら、最初に富士山の女神を描くというのは、非常に壮大な始まり方ですね。

不二峰出現

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 画面を飛び出すくらい雄大な富士山と、富士山を見上げる人々の対比がすごく良い作品ですね。シンプルな形ながら、力強い富士山が描かれています。

 人々は、椅子に座って美しい富士山を眺めたり、富士山を描いたりしているみたいですね。みんな富士山にくぎ付けです。

宝永山出現

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 宝永山は、宝永4年(1707年)に噴火によって誕生した富士山の側火山です。

 今までの静穏な富士山ではなく、災厄としての富士山が描かれます。人々は、なすすべもありません。写真のように現実をそのまま写し取った訳ではないのに、写真以上に緊迫感や恐ろしさが伝わってくる、怖い作品だと感じました。 

鏡台不二

f:id:spaceplace:20180310225806j:plain  こちらはうって変わって、おめでたい感じの富士山ですね。この絵を見ていると、朝日がまぶしくて思わず目を閉じたくなります。

 また、偉大な富士山・太陽との対比で、人と犬の穏やかさが強調されて、なごみますね。

千金不二

f:id:spaceplace:20180310230610j:plain:h450  山と積まれた米俵よりも、千金という多額のお金よりも、存在感があって美しい富士山。

 米俵の山と富士山を比べるという発想が面白いですよね。当時の普通の人からしてみれば、こんなにも山積みになっている米俵は、見たことがないようなあり得ない光景かもしれません。しかし、それよりもインパクトがあるのはやはり富士山だったんでしょうね。

第2編

登龍の不二

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 力強い存在であるはずの龍でさえも、富士山と比較すればどこか物足りなく感じてしまいますね。龍さえも見上げる存在。それが富士山です。

海上の不二

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 富嶽三十六景の神奈川沖浪裏も波と富士山の組み合わせが素晴らしい作品でした。

 しかし、この海上の不二は、船や人などの余計なものがない分、より一層波の形の面白さと、波の荒々しさが伝わってくるようです。

窓中の不二

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 良いですね、この部屋。こんなに美しい富士山を独り占めできるなんて。

 仕事をしていてふと集中力が切れた時に、顔を上げるだけでこんな富士山を見ることができたら、どんなに幸せなことか。

 絵の中の人物に嫉妬してもしょうがないのですが、少しうらやましくなりました。

第3編

跨ぎ不二(左)と暁の不二(右)

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 富嶽三十六景の尾州不二見原もだいぶ構図に凝っていましたが、この跨ぎ不二にはかないません。

 そんな発想ありか、面白いなと思う一方で、北斎は良くこの絵を描こうと思ったなと。人の手が届かない荘厳な富士山と、人の股の間にあるだけの存在である富士山と、千差万別な姿を描き切っていますね。富嶽百景は。

 右の暁の不二は、シルエットだけでも一目で富士山と分かる、富士山の形の良さが表れています。

網裏の不二

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 主題であるはずの富士山を網の裏に隠してしまう。そんなのありかと言いたくなる構図の作品です。しかし、不思議と存在感があるんですよね。この富士山。

 もしかすると、あえて網の裏に置くことで、富士山の存在感を強調した作品なのかもしれませんね。

節穴の不二

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 こんなのありかよという富士山第二弾。節穴から障子に映る富士山を描いています。結構有名な作品なので、皆さんもご覧になったことがあるかもしれませんね。

 この絵は、カメラ・オブスクラを思い出させますね。それにしても、どうしたらこういう発想ができるのでしょうか。 

大尾一筆の不二

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 富嶽百景最後の作品です。名前の通り、一気に仕上げた作品みたいですね。

 富嶽三十六景や富嶽百景を見る中で、北斎が書いた様々な魅力的な富士山を見てきましたが、このシンプルな富士山が、なぜか一番僕の心を捉えました。

 全てが完璧に整っていますね。この一枚。

まとめ

 いかがでしたでしょうか。まさに千差万別という言葉が当てはまるような、富士山の数々ですね。

 今回紹介したのは、富嶽百景のごく一部です。ぜひ、一度自分で全部ご覧になってみてください。

 富嶽百景は、国会図書館のページで公開されています。また、見やすい方が良いというのであれば、書籍版もあるみたいですので、よろしければこちらもどうぞ。

富嶽百景

富嶽百景

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