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伊藤計劃「虐殺器官」感想と考察:あるいは、クラヴィスの最後の行動の理由について

評価

☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

本書を読んだ時の衝撃

 本作の最初のページを読んだ時の衝撃を今でも覚えています。

「まるでアリスのように、轍の中に広がる不思議の国へ入っていこうとしているようにも見えたけれど、その後頭部はばっくりと紅く花ひらいて、頭蓋の中身を空に曝している。」(11頁)。

 アリスという例え、平易な文体が僕におとぎ話を連想させた前半部分。そこに繋げられたのは、残虐にも命を失われた少女の描写。身構える間もなく、体に染み込んでくる情景。瞬時に叩き落される。おとぎ話から地獄まで。

 この部分だけでも衝撃的でしたが、最後の展開はもっともっとインパクトがありました。最終的に、クラヴィスが虐殺の文法をアメリカに撒き散らし、混沌を出現させるとは。英語という覇権言語で書かれた虐殺の文法は、これからアメリカだけでなく世界中に虐殺を引き起こしていくことでしょう。

なぜクラヴィスはアメリカに虐殺を引き起こしたのか

 ここで不思議に思ったのは、なぜクラヴィスはこんな事をやってのけたのか?という事です。クラヴィスは、特にアメリカ以外の国の人間を気にかけたという描写はない。だとすれば、「アメリカ以外の全ての国を救うために」英語で虐殺を引き起こす必要はない。このラストのクラヴィスの行動の背景について、本稿で少し考えてみたいと思います。

 結論から言えば、それは、犯した罪の罰を受けて救済される可能性がなくなったクラヴィスが、罰を受けるために起こした出来事だったのではないでしょうか。

クラヴィスの罪と罰

 クラヴィスは、軍人として自覚的に多くの命を奪ってきました。そして、目の前で無辜の命が潰えるのを傍観してきました。加えて、クラヴィスは自らに好意を向けるルツィアに対して、最初から最後まで裏切ってきたという罪も犯してきました。

 前二者の罪に対して、クラヴィスは様々な事を持ち出して正当化しようとします。例えば、上から命令されてやったことであって自分が決断した訳ではないと考える事によって。あるいは、天国・地獄といった死後のオルタナティブな世界の存在を信じる事によって。(206頁)しかしながら、クラヴィスはそれらが欺瞞である事に徐々に自覚的になっていきます。

 そして、アレックスが語った地獄の話が、クラヴィスにも実感できるようになったのです。

「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。(中略)だけど、地獄からは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから」(52頁)

 このような地獄から、なんとか救われようと、クラヴィスは切実に罰を求めるようになったのです。

 しかしながら、そのような罰とその後の救済を与えていくれる存在は、物語の終盤ではルツィアしかいませんでした。クラヴィスの殺人やそれを傍観した罪について言えば、物語の途中にもあったように死者は許す事ができない以上、救済を与えてくれる者はいません。これらの罪については、クラヴィスは救われない事が決定しているのです。そのため、クラヴィスの罪に対する救済が可能な人物は、もうルツィアしか残っていなかったのです。

 このようにして救済の象徴となったルツィア。クラヴィスが第4部や第5部でルツィアに対して固執していたのもこのためです。実際、クラヴィスは以下のように独白しています。「ぼくが思うのはルツィア・シュクロウプの顔であり、去り際に彼女の頰に流れたアイラインの跡であり、彼女がぼくを罰してくれるという期待だった。」(347頁)

 しかしながら、ルツィアが罰と救済を与える事はありませんでした。ルツィアは、頭を吹き飛ばされて死んでしまったのですから。

 クラヴィスは嘆きます。

 ルツィアは死んでしまった。もはや僕を罰したり赦したりしてくれる人はどこにもいなくなってしまった。
 いま、ここにある地獄。ぼくは自分という地獄に閉じ込められた。(381頁)

クラヴィスが虐殺を引き起こした理由

 自己の救済の可能性がなくなり、「自分という地獄に閉じ込められた」クラヴィスは、「自分のなかから何かが抜け出てしまったようになって」しまいました。(389頁)また、自分が母親から愛されていた訳ではない事に気づき、クラヴィスは「真の空虚に圧倒」されます。

 そこで、クラヴィスは、罰を受けるために罪を犯す事を決めたのではないでしょうか。

 最後のシーンで、クラヴィスはこう独白しています。

僕は罪を背負うことにした。ぼくは自分を罰することにした。世界にとって危険な、アメリカという火種を虐殺の坩堝に放り込むことにした。(396頁)

 この部分からわかる事は、「アメリカを虐殺の坩堝に放り込むこと」が、クラヴィスにとって「罪」にも「罰」にもなるということです。

 この「罰」になるということが何を意味するかは、少なくとも2通り考えられます。1つは、クラヴィスの身近な知人・友人が死ぬことこそが、クラヴィスにとっての罰になるということ。しかしながら、自分で友人・知人を間接的に殺しておいて、それが罰になるというのは変な気がしますね。

 もう1つは、自分でアメリカの地に混沌をもたらし、それに対する罰を誰かから受けるために虐殺を引き起こしたという事です。「真の空虚に圧倒」されたクラヴィスは、その隙間を埋めるために、罰を受けるために罪を引き起こそうとしたのではないでしょうか。「アメリカ以外の全ての国を救う」ために罪を犯すのだと自らを欺きながら。

 こう考えれば、世界中に虐殺を引き起こしかねない英語で虐殺の文法を撒き散らしたのも納得できます。この罪を犯す理由はかりそめの物に過ぎないのですから。

 罰を受けるために罪を犯す。明らかに非合理的な発想です。しかし、罪に苛まれ、地獄に叩き落とされ、よすがとしていた母の愛すらも虚構に過ぎなかった事に気づいたクラヴィスにとっては、もはやかりそめの救済でもよかったのでしょう。自らの空虚を埋めてさえくれれば。

 実際に虐殺器官があるかどうかはわかりません。しかし、クラヴィスにとって、この空虚は真に「虐殺器官」だったと言えるでしょうね。

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