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伊藤計劃「ハーモニー」感想ーあるいは、本書の結末について

作品情報

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

評価

☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

本書の結末について

 本作は、非常に印象的な終わり方をしていますよね。人類の意識が消えた世界。人々がハーモニーを奏でる世界。

 本書の語り手は以下のように書いています。(354頁)

いま人類は、とても幸福だ。

とても。

とても。

 初読時は、なんと怖いバットエンドなんだろうと思いました。人間から意識が消失したら、幸せなんか感じられる訳ではない。だからこそ、ハーモニー後の世界に到達してしまった本作は悲しい終わり方なのだと。

 しかし、数年ぶりに読み返してみると、本作の終わり方は、実はそんなに不幸なものではないのではないかと感じました。うまく言葉にはできませんが、ハーモニー後の世界もそんなに悪くないのではないかと思ったのです。

 そこで、本稿では、「人類は、とても幸福だ」という語り手の言明について、少し考えてみたいと思います。

語り手の言明について

 そもそも、エピローグにある「人類は、とても幸福だ」という言明の語り手は、誰かは不明です*1。しかしながら、「わたしはシステムの一部であり」(352頁)とあることから、これを真実と仮定するならば、エピローグの「わたし」はハーモニーの一部を為す一人であることになります。

 そのような、ハーモニーを為す側の言明を持って、人類は幸福だと受けいれることはできません。そのため、この点について検討するためには、ハーモニー後の世界がどのようなものか把握する必要があります。

ハーモニー後の世界について

脳科学的アプローチ

 まず考えられるのが、脳科学的に考えるアプローチです。「報酬系が調和し、すべての選択に葛藤がなく、あらゆる行動が自明な状態」(254頁)から、ハーモニー後の世界がどのようなものか考えるというものです。

 しかしながら、このアプローチは困難です。そもそも、脳の仕組みはいまだによく分かっていないことからすれば、報酬系が調和すれば意識がなくなるかどうかも分かりません。そもそも、作者の伊藤計劃さんも脳の専門家である訳ではありませんから、こちらからアプローチするのは適切ではないでしょう。

本書の記述を元にしたアプローチ

 そのため、ハーモニー後の世界がどのようなものか把握するためには、本書を丹念に読んでいく必要があります。そこで、本書のハーモニー後の世界に関する説明を列挙してみましょう。

  • WatchMeを通じて報酬系は操作され、(332、350頁)「報酬系が調和し、すべての選択に葛藤がなく、あらゆる行動が自明な状態」になる(254頁)。人の意思は制御され、(252頁)判断は必要とされず、意識は不要となり消滅する。(255、350頁)「わたし」は消滅し、代わりに一個の「社会」が存在する(352頁)。etmlによってのみ感情が生起される。(349頁)
  • 子供にWatchMeは入れられない。(9頁)また、WatchMeを入れていない人々が集まる地域がある。(238頁)
  • 人は意識が欠落したままで、普段通りに生活し、人は生まれ老い死んでいく。(256頁)外面上は意識があるかないか見分けがつかない。(同上) 意識がない民族にも文化があったことから、文化も存続すると考えられる。(262頁)
  • 社会と完璧なハーモニーを描くように価値体系が設定される。そのため自殺は大幅に減り、生府社会が抱えていたストレスは完全に消滅する。(256頁)ほぼ全ての争いがなくなる。(352頁)人は完全な社会的存在になる。(351頁)
  • 「ぼんやりとした幸福な世界に包まれて、恍惚だけを経験」する。(257頁)

 以上をまとめると、人類は意識や感情の消滅と引き換えに、争いやストレスのない「幸福な」生活を送る事ができるようになるという事ですね。それ以外の点については、変わらず生活できるようです。文化も存続することから、創作などを楽しむこともできるでしょう。

 であるとすれば、「人類は、とても幸福」であると考えるか否かは、そのような生活を手に入れるために、意識や感情を引き換えにする事が、真に幸福であると考えるか否かによる気がします。

 意識を重視しないのであれば、当然「人類はとても幸福である」と考えることができます。しかしながら、幸福を感じる「わたし」自身の意識がなくなることを重視すれば、「幸福」であっても「わたし」が感じられない以上意味がないと考えることもできますね。

 個人的には、いくら意識がなくなったところで、人類が消滅する訳ではないことからすれば、人類は幸福であると言えるような気がします。確かに幸福になるのは「わたし」ではない、かつて「わたし」だった存在たちです。「わたし」たちが進化することで生まれた、完全な社会的存在たる「わたし」だった存在たちは、「わたし」たちとは少し違う子のような存在です。それでも、自分にとって大切な存在の幸せを確信しながら死ぬ事が幸せ足り得るのと同様に、かつて「わたし」たちを元にして生まれた存在が幸せになる事を確信しながら自らの意識を喪失することも、「わたし」にとって幸せ足りうると、私は思うのです。

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*1:この語り手は誰かという点は、本書の大きな謎の1つですが、本稿では触れません。