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それって本当にソクラテスメソッド?

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はじめに

 みなさん、ソクラテスメソッドは知っていますか?

 こんな問いを聞いたところで恐縮ですが、おそらくこの記事を読んでいるということは、ソクラテスメソッドを知っているのでしょう。

 ソクラテスメソッドについては、それっぽい定義が見つからないのでWikipediaから引用すると、「問いを立て、それに答えるという対話に基づ」く方式を指すそうです。*1

 そんなソクラテスメソッドの名の下に、質問者が分からないかもしれない細かい知識に基づく解答を求めたり、質問者の意図する回答以外を認めずに、望む答えが出るまで似たような質問を続けるといったことが、しばしば行われています。それって、本当にソクラテスがやっていたような方法なのか?というのが本稿のテーマです。

 ソクラテスは著作を残していないので、ソクラテスがどう問答したかについては、別の人の著作に頼るしかありません。具体的に言えば、プラトンの著作ですね。

 ソクラテスメソッド(Socratic method)という言葉を最初に考えた人ですら、おそらくソクラテスに会ったことはないと考えられるので(なにしろソクラテスが生きていたのは2000年以上前で、英語ができたのはそれより後です。)、プラトンの著作に出てくるソクラテスの問答を念頭にソクラテスメソッドという言葉が作られたのでしょう。

 なので、プラトンの著作からソクラテスメソッドというのはどういうものか確認してみます。

プラトン「国家」におけるソクラテスの対話

 ということで、ちょうど僕の本棚に刺さっているプラトンの「国家」を見てみます。これですね。

国家〈上〉 (岩波文庫)

国家〈上〉 (岩波文庫)

 そのうち、ソクラテス(=ぼく)がポレマルコスと問答をしている部分について、少し長いですが引用してみましょう。

「そうすると」とぼくは言った、「正しい人間でも、たとえ相手が何者であるにせよ人を害するということがありうるのだね?」
「大いにありますとも」とポレマルコスは答えた。(中略)
「ところで、馬が害されると、善くなるかね、悪くなるかね?」
「悪くなります」
「犬としての善さに関してそうなるのかね、馬としての善さに関してそうなるのかね?」
「馬としての善さに関して、です」(中略)
「では、友よ、人間の場合にも同じことを言ってはいけないだろうか?人間は害されると、人間としての善さ(徳)に関して、前よりも悪くなるのではないか?」
「たしかにそのとおりです」
「ところで正義と言うのは、人間としての善さ(徳)のひとつではないかね?」
「それもまた動かぬところです」
「してみると、友よ、害された人間たちは、前よりも不正な人間とならなければならぬはずだ」
「そう思います」
「ところで音楽家は、その音楽の技術によって、人を音楽の才のなき者にすることができるだろうか?」
「そんなことは不可能です」(中略)
「では、はたして正しい人間は、自分が身に着けているその<正義>にょって、人を不正な者にすることができるだろうか?あるいは、一般的に言って、善き人間は、その善さ(徳)によって、人を悪い人間にすることができるだろうか?」
「いいえ、できません」
「実際、思うに、冷たくするということは、熱さのはたらきではなくて、その反対のもののはたらきなのだ」
「ええ」(中略)
「かくてまた、害するということは、善き人のはたらきではなくて、その反対の性格の人のはたらきなのだ」
「そのように思えます」
「しかるに正しい人は、善き人なのだね」
「たしかに」
「したがって、ポレマルコスよ、相手が友であろうが誰であろうが、およそ人を害するということは、正しい人のすることではなくて、その反対の性格の人、すなわち不正な人のすることなのだ」(44-46頁)

「正しい人間が人を害することがあるか」という命題について、ソクラテスは問答を用いて否定しています。しかしながら、ここで着目してほしいのは、命題そのものでなく、命題が否定されるまでの問答の部分です。

 ソクラテスは、1つ1つは非常に分かりやすい質問を使って、上記の命題を否定しています。例えば、

「ところで、馬が害されると、善くなるかね、悪くなるかね?」
「悪くなります」

 という質疑応答があります。この部分について、誰しもが迷わず「悪くなる」と答えることができるでしょう。また、引用部の他の質問についても簡単に答えられます。ソクラテスの対話においては、相手方の意見を求めるというよりも、ソクラテスの考えについて応答を促しています。そのため、対話者は簡単に応答することができるのです。

 このことは、引用部以外のソクラテスの対話についても、基本的に当てはまります。

 このように、ソクラテスは質問者が分からないかもしれない細かい知識に基づく解答を求めたり、ソクラテスが望む答えを引き出すために無理に相手を誘導したりすることはありません。むしろ、ソクラテスは、相手が知っていることや考えていることから、一定の結論を導き出すのです。

 だからこそ、ソクラテスメソッドという名前の由来が、この対話法が「対話者の対話者の信念に暗示されている定義を明らかにし、又は更なる理解を助けるために用いられる(because it is employed to bring out definitions implicit in the interlocutors' beliefs, or to help them further their understanding)」*2ことにある訳ですね。

結論

 という訳で結論です。質問者が分からないかもしれない細かい知識に基づく解答を求め、あるいは質問者の意図する回答以外を認めずに、望む答えが出るまで似たような質問を続ける問答は、ソクラテスがやっていたような問答ではありません。これをソクラテスメソッドと呼ぶのは、少し難しいのではないかと、個人的には思います。

 なお、余言ですが、上記の引用部からも分かるように、プラトンの著作は意外と普通に読めるものなので、興味が湧いた方は「ソクラテスの弁明」あたりから読んでみると面白いのではないかと思います。

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫)