本やらなんやらの感想置き場

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小川一水「天冥の標VI 宿怨 part 2」─業の償還の始まり

作品情報

天冥の標第6巻は、part1からpart3まであります。

※第6巻Part1の感想はこちら。
spaceplace.hatenablog.jp

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 僕が一番好きなSFシリーズで、すでに日本のSFを代表する作品群であるとの評価もある天冥の標。今回は、その第6巻である「宿怨」Part 2の感想を書いていきます。

ミスン族の物語

 本作では、まずミスン族(カルミアン)の物語から始まりましたね。

 それにしても、ミスン族の時間感覚はだいぶ人間と違いますね。数年数十年は当たり前に待つなんて、人類だったら全く想像もできないことです。まあ、異星人なので、その行動を理解できないのは当たり前っちゃあ当たり前なのですが。

 そのような全く異なった存在であるミスン族と人類?(<<恋人たち>>)のファーストコンタクトは、どこかすっとぼけているように思えてユーモラスでした。

「はじめまして、人類。われわれは遠い球からごろごろ流れて命中した別人。友好的に攻めません。働け」
「お帰りなさいませ、すべてのご希望にお応えするハニカムへ。エイリアンとの邂逅プレイをお望みでしょうか?PSチェック、失礼いたします」(27頁)

 映画のE.T.もそうですけれど、異星人との出会いは未知への恐怖と驚きと共に始まるというのが定番で、カルミアンとの出会いもそういう形を無意識に想像していました。

 それと比較するとこの気の抜けた感じに噴き出してしまいそうになります。まあ、当人たちは至極真面目なんでしょうけど。

大きくなる一方のイサリとミヒルの価値観の相違

 さて、Part 1から3年の月日が経って、イサリとミヒルの価値観は一層ずれていっていますね。

 イサリは、どうにか非染者たちと仲良くしようと考え続けています。これに対し、ミヒルは「<<救世群>>の社会を中心に据えて、そこから外部の全方向を攻撃する」(92頁)ようになっていました。

 これが象徴的に表れていたのが、テロをもくろむビーバーたちに監禁されているシーンです。イサリは、ロイズ幹部へのテロを止めよう尽力していたのに対し、ミヒルはロイズ幹部のテロを成功を願いそれを利用しようとします(159-160頁)。もはや、非染者を仲間となり得るものとして見るか、単なる敵として見るかという点について、越えられない壁ができつつあるように思います。

 その理由の一端を担っていたのが、千茅の始祖言行録です。イサリは、改ざん前の始祖言行録を読んだことによって、千茅が非染者とも仲良くしていたことに気づいています。これに対し、ミヒロは、改ざんされた言行録で非染者を単なる敵とみなす千茅の「心身すべてを知って」いようとし(132頁)、その千茅と同一の価値観を持った結果、非染者を強く敵視するようになったのでしょう。

 言い換えれば、この姉妹は、改ざん前の千茅を目指すか改ざん後の千茅を目指すかという点で決定的に異なり、この点が両者の価値観に大きな隔たりを生みつつあると言えるのです。

 これが、ミヒル個人の単体の歪んだ価値観によって違いが生じたなら、まだミヒルを責められます。仲の良い姉妹が、正義のイサリと悪のミヒロに分かたれてしまったということで、非常に分かりやすい構図になったでしょう。

 しかし、始祖言行録は恨みによって何とか救世群の社会を守るために改ざんされたことを踏まえれば*1、改ざん自体や改ざんされた言行録を読んだミヒルの価値観が変化したことも、簡単に責められるべきことではありません。

 ある意味で、ミヒルは誰よりも素直に真面目に救世群の教えを学んだだけとも言えます。ミヒルは絶対的な悪と言うよりも、むしろ被害者であるという側面があるのではないかと、本作を読んで感じました。  

救世群による業の償還の始まり

 さて、本作では救世群による非染者への反撃が始まります。

 前作の時点で、すでに厳しい状況に置かれていた救世群。それは、Q2UAにより決定的に厳しい状況に置かれます。本会議では、救世群という名を奪い、救世群の社会の中に監視者を在中させることが決まりました(201-203頁)。

 各国に救世群を救うインセンティブがなく、味方である医師団も救世群に敵対するロイズに吸収されてしまい、救世群はもはや外交上も軍事上も四面楚歌の状況にあることを考えると、このまま放っておけば救世群は解体される定めにあったと言えるでしょう。*2

 カルミアンが太陽系に現れなければ。

 しかし、カルミアンの登場によって力をつけた救世群は解体されることなく、反撃を開始することに成功します。ここでついに、迫害される一方だった救世群が反撃の狼煙を上げたのです。

 救世群が反撃しなければ滅びかねなかったというモウサの言葉(359頁)は一定の真実を含んでいるのでしょう。しかし、それよりも何よりも、非染者に対する恨み、怒り(232頁)をもとにして、救世群は非染者を蹂躙します。女子供も容赦なく、血の雨、冥王班による地獄をまき散らし始めました。

 約500年にわたって非染者たちが救世群を迫害してきた業の償還が、最悪の形で、ついに始まったのです。

 はっきりいって、やりすぎですし限度を超えています。しかし、500年分の怒りを貯めこんだ救世群(の少なくとも一部)にとっては、止める理由もありませんし止めたくないことでしょう。人類にとっての前例のない災厄が、今始まってしまったのです。

 さて、このような結果を生んでしまった、ユーモラスであったはずの人類とカルミアンとの出会い。これは両者にとって幸福なものであったのでしょうか。

 最終巻まで読んだ暁には、みなさんどうお考えになっているのでしょうか。

Part 3の感想:
小川一水「天冥の標VI 宿怨 part 3」─顕現する天冥の標 - 本やらなんやらの感想置き場

※当ブログの天冥の標の感想一覧はこちら 小川一水「天冥の標」感想記事まとめ - 本やらなんやらの感想置き場

*1:以下の記事参照。spaceplace.hatenablog.jp

*2:この点につき、武力による反撃の必要性を説くオガシの言葉を参照。

非染者は、俺たちの話し合いの努力をことごとく踏みにじった。俺たちがとれる手立てはもはやこれだけとなった(232頁)