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円城塔「シャッフル航法」感想

作品情報

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評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)

※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 本作は、バリエーションに富んだ作品集でしたね。その中でも、以下では「内在天文学」、「イグノラムス・イグノラビムス」、「シャッフル航法」、「Printable」について感想を書いていきます。

 なお、「リスを実装する」の感想については、以下の記事をご覧ください。

spaceplace.hatenablog.jp

内在天文学

 本来ならば、短期間では新しいのができたりなくなったりしないはずの星座。そんなはずなのにオリオン座が向きを変えたと認識してしまうような世界。認識の主体が人類ではなく、他の存在であり、その存在が月を認識している世界。他者の認識により自らの認識も変わるというのが面白いと同時に、何が起こっているのか分かりづらい作品ですね。認知を巡ってのある種の争い。凄くユニークですね。

 そんな訳のわからない世界であっても、ボーイミーツガール。男の子が女の子と冒険することを決意した瞬間に、オリオンと「僕ら」の戦いが始まる。これから始まる壮大な旅のプロローグで、どこか爽やかな感じがするのが非常に不思議な作品でしたね。

イグノラムス・イグノラビムス

 一見して超光速の情報伝達が行われているように見える存在。しかし、光速を超える速さはない以上、超光速の情報移転はありえない。結局のところ、見かけ上情報が超高速で移転しているように全てがあらかじめ定められているだけであることが分かります。

 そうである以上、自由な行動はとりえない訳であり、全ての行動は自動的に進行して行く訳です。そんな状況で自由意志はありうるのかが問題となります。全ての行動と意識が一致しているのであれば、全ての定められた行動と意識が一致している訳であり、意識そのものも全てあらかじめ定められていることになります。

 逆に、行動と一致しない意識であれば、意識は行動を制御できず、意識は自らの行動とかけ離れた存在となります。意識は自らの肉体という牢獄に閉じ込められているとも言えそうです。最後で、「私とはまったく関係のない感激の涙」と言っている以上、本作の主人公は後者の状況に合致しているでしょう。

 意識は行動を制御できないと聞くと恐ろしくなると同時に、これが単なる物語で良かったと思う人もいるでしょう。実際、私たちの実感は後者と反していますから、本作の自由意志の話は単なるお話にすぎないと言えそうです。

 しかしながら、現実も負けず劣らず恐ろしく、科学者の間で自由意志の存在がそのもの疑われつつあります。結局、脳は物理的なシステムであり、脳のニューロンが思考や随意運動を決める訳ですから、我々の行動は完全に予測可能であり自由意志など存在しないという訳です*1

 本作を読んで一度自由意志について気になった方は、一度調べてみると面白いですよ。

シャッフル航法

※シャッフル航法の意味が理解できなかった場合は、先に以下のリンクをご覧ください。 spaceplace.hatenablog.jp

 AIが物語を書けるか否かが巷で話題になることもありますが、本作はその回答となっており、非常に面白かったです。アウトシャッフルによる単純な単語の並べ替えだけでも、物語は紡がれる。あるいは、人間はそこから物語を見い出すことができる。したがって、AIにも物語はかけそうだなと本作を読んでいて思いました。

Printable

 本作は、どこからどこまでが誰が書いた部分なのか、書かれた部分なのかよく分からない作品でしたね。

 第1段落は、「僕」の話。第2段落では、「僕」が本作を翻訳するのが「グレイグ」だと良いなと考えています。そして、「僕」の小説(=この掌編)の中で、グレイグは封筒の中の「この掌編」と翻訳された掌編を受け取ります。掌編の作者の存在も、掌編に登場する同掌編によって担保されるという構造になっているのでしょう。

 3段落目から、グレイグの妻の発言が始まり、いきなり物語の語り手が妻になります。グレイグ(=あなた)とグレイグの妻(=わたし)の会話が続く訳ですね。

 そして、おそらく場面が変わり、4段落目から勝手に他人の作品を書く作者についての話である、翻訳版の原稿が始まります。

 334頁の末尾の段落で、奇妙な話だと読みかけの原稿を置きつつグレイグは発言します。おそらく、この読みかけの原稿に書いてある内容が、4段落目からその前の段落までに書かれている話でしょう。そして、同段落から原本の原稿の話が始まります。

 そして、340頁の段落から、グレイグの妻が「そう記」したことがわかります。「そう記した」とは、直前の部分をグレイグの妻が記したことを表していると考えられます。そこで問題となるのが、「直前の部分」がどこからどこまでかですが、これは分かりません。しかし、「これは被印刷人によって書かれた小説なのだ」との記載がある以上、この掌編そのものをグレイグの妻が書いているとこの段落は主張しているのでしょう。

 そして、341頁末の段落から、主体がグレイグに切り替わります。ここで、このグレイグは「今この小説」(=この掌編そのもの?)を「翻訳して」いることになっています。そして、この掌編そのものの意味を少しずつ明らかにします。途中で、グレイグは自分のことを「僕」と表現しますが、段落の途中からグレイグ・グレイグの妻に加えて「僕」について言及し始めます。物語の登場人物は、「互いをてんで勝手に、グレイグの妻、グレイグ、僕と呼び合っていて、自分が一体誰かの方は皆目わかっていないから、お互いの話は矛盾することさえできないでいる」(343頁)状況にある以上、この「僕」が誰なのかどうかも不明確なのでしょう。

 そして、最後の段落で「僕たち」が翻訳によって私たちと接触可能=僕たちが被印刷人であることが示唆されます。

 結局のところ、物語の書き手と書かれる存在が同一である、そういう構造になっていると感じました。

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*1:詳細は以下の記事を参照。www.theatlantic.com