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J.D.サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」感想:青春の瓶詰め。

作品情報

訳:村上春樹

本作は、「ライ麦畑でつかまえて」で知られるサリンジャーの作品の別翻訳です。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)


※以下は本作のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

 人生のある時期に読まれるべき本がある。絵本は主に幼児のためにあり、児童書は主に児童のためにある。そして本作は、10代の若者のための作品であると感じた。

 ひとたび大人になってしまえばネバーランドに憧れを抱かなくなるように、本作が有している魔法のほとんどは大人になってしまった私には効かなくなってしまったようだ。17歳の少年ホールデン・コールフィールドが抱く鬱屈感、周りに対する攻撃心、幼き者に対する安心感と憧れ。このような彼の生き様を本書で辿ってみて、真っ先に思い浮かんでくるのは「若いな」という感想でしかない。彼に感情移入するというよりもむしろ、周りの大人たちの心情の方にシンパシーを抱く自分がいる。おいおい、周りをよく見てみろよ、世界はそんなに悪くなんかないぜと、むしろ彼に諭したくなるありさまだった。

 本作は、まさに青春の瓶詰めのような作品だと感じた。ホールデンの行動は、まさに10代の若者に特有な行動原理に従っている。つい、社会の悪いところに目がいってしまい、それが許せなくなる。そして、計算や計画など一切せずに、自分が正しいということをがむしゃらに貫き通そうとする。あふれるエネルギーは、すぐに行動という形で放出され、風船のように破裂する。それに対し、純粋な共感を抱くには、私は大人になり過ぎてしまった。それは、とても退屈なことで、だからこそホールデンに対して私が一抹の憧れを抱く由縁でもあるのだろう。

 崖から落ちそうになる子供を救う「ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。」と言い切るホールデンの実直な思い。ためらわずにそう言い切れるまっすぐさを、私は人生のどこかで落としてきてしまった。そんなことは現実的なのか、生計はどうするんだ、将来をどうするんだ、エトセトラ。そんな思いばかりが頭をもたげる。

 本作を読んで感じた、失われたものに対するノスタルジア。それは、空っぽの瓶詰めとなってしまった私の頭の片隅に浮かんだ、嫉妬という気持ちと無関係ではないだろう。