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生きる意味とは何か①

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はじめに

 生きる意味とは何か。何なのでしょうか。宗教などによって、生きる意味に確信を持てる人ならまだしも、そうでない僕のような人だと、ふとした時に考えてしまう問であります。

 この点について、今回考えてみたいと思います。

 なお、本来であればキルケゴール先生やらなんやらの著作に当たってから考えるべき事柄であるとも思えますが、個人ブログ特有の無謀さで少し考えてみようと思います。

前提

 まず、前提として死後の世界が科学的に証明されている訳ではありません。逆に、死後の世界もないと科学的に証明されている訳でもありません。

 死後の世界の有無については、人間の発言は個人の主観・精神状態等々によって左右されるという前提に立てば、そこまで信用をおけるものでもありませんので、そこから死後の世界があると断言はできません。

 同時に、この世界がコンピュータ等によりシミュレートされている可能性は否定できません。その場合、この世界だけでなく、死後の世界をもシミュレートされている可能性を否定することもできません。

 したがって、死後の世界(天国等)を目標に、手段として今の人生を送ることが正しいか否かについては、良く分からないということになりますね。

 ここで、パスカルの賭けと同様の論法をとれば、死後の世界があることを前提に、天国に行けるよう頑張れ、という話になりますが、それで終わらせるのも面白くありません。

 そのため、以下では、死後の世界がないという前提で考えてみましょう。

人生暇つぶし説

 よくある論法として、人生は死ぬまでの暇つぶしだと考えるものがあります。

 しかしながら、この考え方を取れば、暇つぶしにならない=死んでも良いという話になるので、あまり好きな考え方ではないですね。

死にたくないから説

 死にたくないから生きる、という考え方です。これは、単純に問いを逆転させただけのようにも思えます。

 しかしながら、人間は他の動物と同じく、生存本能を持っている人もいます。自分の死、自分の不存在を考えただけで恐ろしくなってしまうというものですね。

 このような生存本能を持っている人からすれば、死にたくないから、というのも十分な理由になります。怖いものを避けるのは、ある種当然なところがありますからね。

考えたこと

 しかしながら、人によっては、死ぬのは怖くないという人もいるでしょう。それこそ、昔の武士なんかは、そのような人々の集まりだったようにも思えます。

 その場合、生きる意味とは何になるのでしょうか。

 僕が考えてみたことは3つあります。

 1つは、そもそも人生に意味を求める必要はないと考えることです。

 仮に人生を旅に例えて考えてみれば、その旅自体が終わった後(言い換えれば死後の世界)のために旅をするのではなく、旅自体が面白いからこそ旅をする訳です。

 であれば、何のために旅をするのかと深く考える必要はなく、旅は旅自体で面白いからこそ行う、言い換えれば生きるのが楽しいから生きる、とも考えられます。

 ただ、この論法も暇つぶし説と同様、旅=人生が面白くないから死ぬ、といった形につながるので、あまり良い考え方ではないでしょう。

 2つ目は、生きることそのものに何らかの意味があるのではないか、ということです。まず、我々(又は少なくとも私若しくはあなた)が生きているこの世界そのものは存在しています。そして、生きていることによって、存在している何かに影響を与えられる以上、人生には、それがプラスかマイナスか、どれほどの意味があるかは別として、世界に影響を及ぼすという点で意味がある、ということになります。

 どういう意味があるか分からない、ということが気になるのであれば、少なくともその意味を形成する主体である人間を手助けすることによって、新たな意味が生まれることを手助けすることができます。あるいは、自分の人生に意味がある、と考えている人を支援することによっても、その人をいわばアンカーとして、意味のある人生が送れるとも思えます。

 ただ、この論法も確固たる根拠がある訳でもありません。そもそも何らかの影響を与えられていると考えること自体が虚構であり、結論はデウス・エクス・マキナによって決まってしまうのだから、人生は意味がない、と考えることもできます。

 3つ目は、自分がこの世に生み出された存在であるからこそ、自分以外の存在を生み出さなければ、なんとなく通りが悪い、ということです。これは、ただの感情論であり、さしたる根拠がある訳ではありません。

 御恩と奉公ではないですが、子として生まれたのであるから、子を育てよう。受け継がれたなら受け継ごう、そうじゃなきゃ公平じゃない、という考え方ですね。だからこそ生きる、受けた恩をそのままにするのも、どことなく気持ちが良くないから返すという訳です。

 ここでいう、子とは、生物学的な子を育てることに限りません。この世には、不幸にも亡くなってしまう子はたくさんいて、そのような子を救うことは誰かを生み育てるのと同等の価値があるようにも思えるです。これが達成できれば、受けた恩を返す、ということは達成できているような気がします。

 こういう考え方でも良いと思うんですよね。生きる意味って。

 とりあえず、現時点で考えられる内容はこの程度なので、一旦筆を置きたいと思います。