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冲方丁「マルドゥック・アノニマス 3」─入り乱れる希望と絶望

作品情報

 本作は、冲方丁さんのマルドゥックシリーズの第3シリーズ、マルドゥック・アノニマスの第3巻です。

評価

☆☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

ウフコックの独白

 本作も、陰鬱なウフコックの独白から始まります。独白から感じられるのは、ウフコックの虚無だけ。白い壁に囲まれた空虚なガス室は、そのままウフコックの心象風景を表しているようです。このようなウフコックの精神は、第2作の主人公だったボイルドのそれを思い出させますね。

 ウフコックは、心だけでなく、体も今や擦り切れてしまっています。

金色の体毛はところどころ灰色になり、抜け落ちて円形に皮膚が露出しているところもあった。すっかりみすぼらしくなった自分(11頁)

 そんなウフコックがガス室で出会うのは、ルーン・バロット・フェニックス。ウフコックが会うことを最も予期していなかった人物でした。

 生と死がガラス一枚で分かたれたガス室での出会いは、ウフコックの死という悲壮な結末を予想させるに十分でした。

「善の勢力」と<クインテット>の戦い

 次に、物語は一気に過去へと引き戻されます。

 バロットと過ごす平穏な日々。正体も分からぬ敵との戦いの日々。良心的な存在との日々。非良心的な存在との日々。ウフコックとしての日々。匿名存在(アノニマス)としての日々。

 マルドゥック・アノニマスシリーズ全体を通じて、これらは非常に対称的ですね。

「善の勢力」と<クインテット>の共通点

 また、戦いの日々における、ウフコックたち「善の勢力」とハンターたちの<クインテット>も対照的であるようにも思えます。しかし、よくよく読んでみると、両者が共通点を多く持つことに気づくのです。

 まず、ハンターもイースター達も、物腰が柔らかです。例えば、ハンターがカジノ協会の面々と会うシーン、イースターが市長と会うシーン。どちらも、丁寧な言葉遣いで、相手をほめそやすことに余念がありません。

 お互いに市長や<チェスクラブ>を追っていつつ、慎重な計画の下に動いています。また、両者は、コアなグループを有しつつも、外部のグループと共同して動いています。ハンターたちを後追いするように、ウフコックたちも集団で対抗するのです。

 さらに、戦力として中心となるのは、<エンハンサー>であるという点も共通しています。

「善の勢力」と<クインテット>の違い

 このような「善の勢力」と<クインテット>が戦えば、普通に考えれば互角かあるいはハンターたちの方が優位に立てる状況でしょう。何しろ、規模が違いますし、手段を選ばない連中なのですから。

 しかしながら、両者が大きく違っていたのは<万能道具存在>としてのウフコックでした。ウフコックの活躍により、圧倒的情報優位に立つ「善の勢力」は徐々にハンターたちを追い詰めていきます。

 今までのウフコックが苦しんできた日々が、報われているようで。今までの悲しみにあふれた物語が、希望に満ちた物語となるようで、読んでいてとてもうれしくなりましたね。ただ、物語の中で何度も語られるウフコックの独白から、何か嫌な予感は振り払うことができませんでしたが。

 その悪い予感は的中します。「善の勢力」にウフコックという規格外のアノニマスが居るとすれば、<クインテット>にはハンターという規格外のアノニマスが居たのです。そして、ハンターが状況を全てひっくり返します。

 ハンター率いる<クインテット>により逆襲された「善の勢力」は一瞬で絶望に叩き落されます。

 正直、強すぎるだろと思いました。ウフコックは相手の計画を全て把握して完璧に包囲していたはずなのに、気が付けばハンターは逆に包囲しています。ハンターの能力(ギフト)自体が強力なのはもちろんですが、その分析力・決断力は圧倒的です。

 こんな人物に、誰も勝てないだろうと思いました。シザースだろうが<チェスクラブ>だろうが何だろうが。実際、ハンターは後者の<キング>を懐柔していますしね。

 同じ規格外の存在であるウフコックとハンターですが、本作を読んでみると、ハンターの方がウフコックよりも上手だったことが分かります。ハンターがウフコックに針を打ち込んで支配しようとし、あるいはガス室送りにするシーンが、それを象徴していますね。

ウフコックとバロット

 そして、物語はウフコックのいる現代へと戻ります。心を砕かれ、身を窶してしまったアノニマスのもとへと。匿名存在として、誰の気にも留められず、死を待つだけの存在のもとへ。

 そこにやってきたのは、ルーン・バロット・フェニックス。

 バロットは、怯え切ったウフコックとそれを優しくなだめます。マルドゥック・スクランブルでウフコックがバロットを心の殻から救い出したように、バロットはウフコックが「殻」から出てくるよう気遣うのです。

<<来て、ウフコック。私があなたを正しく使うから。>>(470頁)

 このように、相手が一番望む言葉をかけてあげながら。

 彼女の呼びかけによって、匿名存在は殻から飛び出して、「ウフコック」として再生します。

 どんな相手も均一化し、ウフコックを絶望に叩き落したハンターの針さえも、ウフコックと彼女の絆にはかないませんでした。ウフコックと彼女の間には、作りものでは決してかなわない、真の「共感」があるのです。

 このシーンは、非常に感動的でした。シリーズの当初では、虐げられるだけの存在だったバロットが、ウフコックにより救われて成長し、逆に誰よりも大事なウフコックを助けられるまでになったのです。マルドゥック・スクランブルを思い返しながら、じんわりと心が温かくなりました。

 バロットは救われたウフコックに対してこう言います。

どうにかしなきゃいけない人たちが五十人くらいいるけど、何とかなると思う。(中略) それに、私とあなたなら(中略)私、まじで頑張っちゃう(476頁)

 ここの部分が、端的にバロットとウフコックの関係性を表していて好きですね。

 それにしても、バロットは本当に頼もしくなりましたね。エンハンサーを倒す実力もそうですが、精神的にとても強くなっています。

 そんな頼りがいのあるバロットによる、希望に満ちた台詞によって、本作は幕を閉じます。(477頁)

<<殺さない。殺されない。殺させない>> (中略)
<<行きましょう、ウフコック。私が、あなたを正しく使って見せるから>>

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