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村上春樹「東京奇譚集」感想

作品情報

東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)

 本作は、5つの作品が収められた短編集です。なお、ハナレイ・ベイは映画化され、2018年10月19日に公開されるそうです。*1

 本稿では、その中でも「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」の2つについて感想を書いていきたいと思います。

評価

☆☆☆☆(最高評価は☆5つ)
※以下は作品のネタバレを含むので、注意してください。

ネタバレ感想

偶然の旅人

村上春樹さんのお話

 本作は、村上春樹さんの小説にしては珍しく、村上春樹による作者としての著述から始まります。2つの出来事とも、すごく不思議な出来事だけれど、ありえなくはない。そんなお話でしたね。

 前半部分のこの2つのお話は、オチが村上春樹さんらしい、小気味よい終わり方で良いですね。

──これがこの話の大きなポイントなのだが──それは実にチャーミングな素晴らしい演奏だった。(15頁)

「Yeah, it's 10 to 4」(中略)ジャズの神様──なんてものがボストンの上空にいればの話だが──が僕に向かって、片目をつぶって微笑みかけているのだろうか?(16頁)

 これらの文章を読んでいると、ジョークを言い終わったコメディアンみたいに、両手を広げてこちらを見る村上春樹さんが目に浮かぶようです。

 日常生活でこんな出来事が起きたら、こんな風に読んでいてすっきりとしてにやりとできる文章に仕立て上げてみたいものですね。

村上春樹さんの友人のお話

 さて、本作品のメインである、村上春樹さんの友人のお話について書いていきます。

 なんだか、少し悲しいけれど、最後は素敵なところに着地する不思議なお話でしたね。

 前半部のカフェでの女性での出会いは、友人と女性のどちらが悪い訳でもないのに、女性の涙で終わるというのが少し切ないですね。

 そもそも、一方的に恋心を抱き、期待してしまったのは女性ですが、恋とはそんなもののような気がします。

 また、友人の方も、当然ですが性的嗜好は人それぞれですし、それだからどうという訳もありません。

 それなのに、二人の間ですれ違いが起きてしまったことが、少し悲しいですね。同性愛者どうこうの話が、もっと当たり前な世の中であったら良かったのでしょうけど。

 そして、物語の終盤、友人が姉と和解出来て本当に良かったです。姉弟は、家族として特別な間柄にあると思います。それが良いものであれ、悪いものであれ。偶然による、ささやかな奇跡によって、姉弟の間の確執が解消したようで、素敵でしたね。

 こんな奇跡について、友人は以下のように語ります。

偶然の一致というのは、ひょっとして実はとてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。つまりそういうたぐいの物事はぼくらの周りで、しょっちゅう日常的に起こっているんです。でも、その大半は僕らの目にとまることなく、そのまま見過ごされてしまいます。(47頁)

 世界では、人生では、様々な出来事が随時起こっていて、それらの大半は見過ごされている。でも、人は時にそれを見つけ出して、物語が生まれる。

 でも、僕としては、そういう考え方よりも、村上春樹さんの言うように、神様がいるって発想の方が好きですね。何かの神様が、みんなを見守ってくれている。

 その方が、なんだか爽やかで、小気味良い気分になれそうですから。

ハナレイ・ベイ

 「サチの息子は十九歳のときに、ハナレイ湾で大きなサメに襲われて死んだ。」(53頁) 衝撃的な書き出しで始まる本作は、読んでいてつらくなる作品でした。

 自分の子が亡くなる。前触れもなく、あっさりと。死んだ姿をみても、どことなく非現実的な感じがする。そんな中、ゆっくりと彼女はハナレイ・ベイで時間を過ごしていく訳です。

 息子の死から長い年月が経ち、ハナレイ・ベイで過ごしている彼女は、息子の死を完全に受け入れている訳ではありません。それは、息子の姿を見ることができずに、嘆き悲しんでいることからも分かります。

 正直、身近な年下の存在が、死んでしまうという経験をしたことがない僕には、サチの心情を想像することはできませんでした。深い悲しみであることは分かりますが、それに比肩するような悲哀を、僕は幸いにも経験したことがないので。

 そのような傷心を抱えつつも、サチはあるがままの自然を受け入れようとします。毎晩ピアノを弾き、ハナレイ・ベイのことを考えながら。

 人が自然により生じた悲しみを受け入れるのは、もしかするとこういう経過をたどるのかもしれません。善悪もなく、功罪もなく。ただただ自然は自然として受け入れる。

 これは、サメによる事故だけでなく、病や老衰など、様々なことにも言えるかもしれません。

 いずれにせよ確信したのは、僕はいずれまた、この作品を手にとるであろうということです。時に不条理な自然を、あるがままに受け入れるために。